強迫性障害になったきっかけ

こんばんは、本日強迫観念に思いっきり打ち負かされたももです😌

 

今日は強迫性障害になったきっかけを書きます。今私は主に車の運転で症状が出るのですが、この症状が出始めたのは約1年前、今お付き合いをしている彼氏と付き合い始めて少しした頃でした。私の場合はストレスなどが原因ではなく、この幸せが崩れたらどうしよう、普段の生活が送れなくなったら、彼氏に嫌われたらどうしよう、というところからきていました。幸せすぎてどうしよう!ってやつです(笑)幸せをきっかけに不安になるなんて何というか人間って本当に難しいですよね(笑)

さらに遡ると、小学生の頃にも強迫の症状があり、今思い返しても恐ろしいのですが、小さい頃に人を傷つけた記憶があり、その時に私は人を殺したのではないか?自分は人殺しなのか?ととても思い悩みました。実際今も自分の中で解決はしておらず、ふと自分は人殺しなのかと悩むことがあります。当時は幸せであれば幸せである程自分は生きていてはいけない人間なのだと苦しみ、嬉しいことや楽しいことがある度に自分は人を殺した、大罪を犯したからそういう感情を抱いてはいけない、と悩みました。この世から消えられたら楽になるのか?と何度も思いました。そんな度胸はないので実行には移していませんが(笑)またミステリーの本やニュースで殺人のことを見ると、自分のことかとナイーブになったり、万引きGメンを見ては自分も万引きをしたかも、と悩みました。ですがある時ふと、どうせ生きなければいけないんだから考えるのをやめよう!そういう不安は捕まってから考えよう!!!!(?)とかなり極端に振り切ることができたのです。実際自分の中の疑惑が晴れたわけではありませんので、それが良いことか悪いことかはわかりませんが生きるにはそうするしかないと思いました。1度目の症状を克服したのは考えないようにする、思考を遮断する、という方法でした。かといって今の運転での強迫が出てきた時に、考えないようにしようとすると「今確認しないと昔みたいに長い間不安を抱えることになるぞ。疑惑(不安)をはらさなければずっと不安だぞ。」と強迫が囁くのです(笑)彼らは一筋縄ではいかないみたいですね(笑)

 

話は変わりますが私は強迫性障害について調べている内にあるブログに辿り着き、強迫の人は辛いことを多く感じる分楽しいことも倍に感じられる。波がない映画なんてつまらないでしょう?というような文に出会い、涙が流れました。まだ生きることを諦めたくないと思いました。日々辛いと感じることも多いですが、幼い頃からのこの経験を無駄だと思いたくない。もっとたくさんの幸せを感じたい。同じ病気で苦しむ方にもこのブログを読んで仲間がいること、忘れないで欲しい。みんなで幸せになろうね。